令和6年8月17日(日)~20日(火)の4日間、令和6年度全国高等学校総合体育大会水泳競技大会兼第92回日本高等学校選手権水泳競技大会が佐賀県のSAGAアクアで行われ、400m個人メドレーに出場しました。
2回目のインターハイということで、昨年度ほどの緊張はなく、リラックスした状態で調整を行い本番に臨むことができました。
結果は納得いく結果ではありませんでしたが、全国の強豪選手や高校生オリンピアンの泳ぎを肌で感じることができ、今年度もたくさんのことを学ぶことができました。
高体連の大会としては、既に新人戦に向けた準備段階にあります。来年の総体につながるよう、まずは目の前の大会に集中し、総合優勝を視野に入れ、個人はもちろん、チームとして成果を上げて欲しいと思います。


8月18日(日)、令和6年度県下宇和島弓道大会(高校生の部)に4チーム(3人立)参加しました。
団体戦では、Cチームが2位・3位決定戦で勝利し2位、個人戦は、8本中7本的中した4年生の
上松さんが2位となり、好成績を収めました。
9月に行われる選抜大会予選に向けて、いい弾みとなりました。
この勢いで予選突破するぞ!




令和6年8月3日(土)に令和6年度 第62回四国中学校総合体育大会水泳競技に3年生の玉井さんが参加しました。
県総体で2位以上(各県2名ずつ)に入賞した選手が出場できるこの大会は、ハードルが高く、本校からは1名の参加となりました。
本人にとっては、最後の中学総体ということもあり、いい緊張感をもって現地に入ることができました。
予選を行わない、タイムレース決勝は失敗が許されず、一発で決着がついてしまうため前日のウォーミングアップや当日のウォーミングアップが非常に重要な鍵となります。迎えた当日は、朝一番のレースに400m個人メドレー、昼一番のレースに200m個人メドレーと続きました。
結果は、それぞれ5位と6位。決して悪くないタイムでしたが、本人にとっては悔しさの残るレースだったようです。
今回のレースを振り返り、課題が残った部分はあるもの、積極的に泳げた部分もあり、間違いなく次につながるレースになったと思います。今後、ますます活躍することを期待しています!!



8月9日(金)18:00より、愛媛県と台湾の国立嘉義大学との交流事業の一環として、国立嘉義大学野球部と四国地区大学野球連盟選抜チームとの交流試合が坊っちゃんスタジアムで行われました。本校の吹奏楽部も応援演奏として参加しました。今回の応援演奏は、異なる文化的背景を持つチームの応援を通じて、生徒たちが音楽を介した国際交流の素晴らしさを実感する貴重な機会となりました。



全国高等学校総合文化祭の書道部門は、下呂温泉で有名な岐阜県下呂市の下呂交流会館で行われ、6年生1名が参加しました。ちょうど下呂温泉まつりが行われており、町は賑わっていました。
1日目の交流会では、日本全国からの参加者と地元の東濃ひのきを使用した筆筒や美濃友禅和紙を使用したしおりへの揮毫、交換、お互いの出品作品の相互鑑賞を行いました。2日目の講評会では、代表作品の講評と受賞作品の発表が行われました。全国からやって来た書を志す高校生と交流でき、また愛媛県からの参加者5名でチーム愛媛として行動を共にし、絆を深めました。暑かったですが、とても思い出深い大会参加となりました。

令和6年8月3日(土)~5(月) 岐阜県大垣市、岐阜協立大学にて、第48回全国高等学校総合文化祭 自然科学部門が開かれ、全国から物理・化学・生物・地学を研究する高校生が集まりました。本校の科学・情報部は地学分野で参加しました。発表テーマは「日の入り後に発生する突発性層積雲の形成過程に迫る」という気象に関するものです。彼らが夜空の観測をしている中で偶然気づいた珍しい雲の、発生メカニズムに迫った3年間の集大成の研究です。発表時間は12分間。短い持ち時間の中で、力の限りを出し尽くしました。そして最高の舞台で彼らの研究が評価され、文化庁長官賞(優秀賞)をいただくことができました。この大会を通して、研究を続けていくことの難しさと、難しいながらも研究を進めた向こう側にみえる喜びというのを、改めて実感することができました。
また、本大会を運営していただいた岐阜県をはじめとする多くの先生方や岐阜県の生徒実行委員の皆様の温かいおもてなしやお心配りにとても感動した3日間でした。


男子800mに出場しました。
過酷な暑さの中健闘しましたが、予選通過は果たせませんでした。
さらなる飛躍を期待します。


8月1日、岡山県の国立療養所長島愛生園で、松山市内の県立学校と上浮穴高校の7校の人権委員と教職員のフィールドワークによる研修会が行われ、本校からは4,5年生6名の生徒が参加しました。
研修のポイントは①ハンセン病を正しく理解すること②なぜ強制的に患者を隔離してしまったのか③国や社会が患者やその家族に対してどのように接してきたかを振り返り、人権について考えることでした。
1988年に開通した隔離する必要のない証、人間回復の証として架橋された邑久長島大橋を渡りました。ハンセン病に限らず、今の社会における人権尊重を実現するにはどうすれば良いのか深く考える機会となりました。人権委員会から改めて報告します。

