第2回読書会

2020年11月6日 07時38分

先日、第2回読書会が開催されました。読書啓発活動の一環として

POP作成に取り組みました。参加者は熱心にPOPを作成していました。

読書は、日常生活では体験できない無限の素晴らしい世界があることを教えてくれると思います。

知的好奇心を高め、もっと調べてみようとか、自分でもやってみようという探究心を育ててくれると思います。

疑問に思うことを調べたり、さらに自主的に進んだ学習をしたりする手助けとなると思うので、

図書館に来て多くの本を読んで見ませんか。

 

第5回英語レシテーションコンテスト

2020年11月5日 18時20分

本日、前期生全員で英語レシテーション(暗唱)コンテストを行いました。人と人との距離を十分に取り、発表者の前にアクリル板を置くなど、感染予防をしてでの実施です。

発表者はこのコンテストのために練習を重ねてきました。とても素晴らしい英語スピーチを聞くことができました。

 

教育実習2週目

2020年11月4日 17時30分

教育実習2週目です。

明日は各学級・ホームルームで実習生による学級活動・ホームルーム活動が予定されています。

教科の授業と並行して忙しい放課後となっています。

限られた準備時間の中で工夫しながら準備をしてくれています。

明日の学級活動・ホームルーム活動を楽しみにしましょう!

 

県西生のための地域史研究-伊予の関ケ原 後編-

2020年11月4日 14時47分

前回は、伊予の関ケ原と呼ばれる「三津刈屋口の戦い」の古戦場である松山市古三津地区を歩き、村上海賊の当主村上元吉をまつる村上大明神などを訪ねました。詳しくは前編(2000年3月18日記事 日本の歴史 地域編)をご覧ください。コロナ禍で後編のアップロードが遅れてしまい、すみません。


 儀光寺から法雲寺の街道沿いには、討死した武将を祀った祠として、「村上さん」と「加藤さん」がありました。地元の人たちは「三津刈屋口の戦い」で討死した武将の祠や墓を「〇〇さん」と呼んで大切にしています。街道沿いよりさらに東(県西に近い方)に点在する墓を訪ねて歩きます。
狭い路地に入って最初に現れた墓は「長袖さん」(写真左下)。本当の名前は不明ですが、討死した際の身なりから、こう呼ばれるようになったそうです。当時は武士に対して、公家や僧侶、神官などを、その服装から「ながそで」とか「ちょうしゅうしゃ(長袖者)」と呼んでいます。お公家さんが地方の戦場に来ることはまれでしょうが、当時、神職の人が戦に参加することはありますし、戦陣に同行する「陣僧」と呼ばれる人たちもいました。

さらに道を行くと、民家の庭に「能島さん」の墓が見えます(写真右上)。ちょうどその家の親切そうな住人さんが出てきて、「庭に入って見てもいいですよ」と言ってくださったので、遠慮なく中に入りました。
墓の横の石碑には、「能島城主 能島内匠頭 源吉忠」と書いてありました。村上海賊(村上水軍)の村上氏は村上源氏の末裔と称しており、「源」は分かるのですが、「能島城主」は村上武吉か元吉であるべきです。
村上海賊の三家(能島、因島、来島)のうち、因島村上氏の当主村上吉充の弟に村上吉忠という人がおり、この人物のことではないかと考えられます。

次に見えてきたほこらは「若宮様」と書かれてありますが、討死した「曾根さん」をまつっています(上の写真2枚)。喜多郡(今の内子町)の曾根城を支配した曾根氏は、河野氏とつながりのあった武将で、豊臣秀吉の四国攻めの後、喜多郡を追われて毛利氏に仕えました。「三津刈屋口の戦い」で討死したのは、曾根景房という人物のようです。
おや、同行していたN先生が「若宮様」を拝んで、御賽銭をあげようとしています。N先生いわく、「いや~。以前に曾根さんの論文を書かせてもらったので、思い入れがあって・・・」。
(でも、小さい祠ですから、御賽銭箱はありませんよ・・・。)


さて、案内図を見た時から気になっていたのですが、討死した武将の墓に、「阿部さん」「橋本さん」という名が・・。「三津刈屋口の戦い」で討死したらしいのですが、「阿部さん」と「橋本さん」がどういう人物なのか、詳しいことは分かりません。でも私は早く「橋本さん」の墓を見たくて、細いあぜ道をたどっていきました。道が開けて、観光港へ向かうバイパス(県道松山港線)に出ました。「えっ。普段よく通っている、しかもこんな大通り沿いに「橋本さん」の墓があるの?
そして、これが「阿部さん」「橋本さん」の墓です。

ああ、「橋本さ~ん」・・・(涙)。
あれっ、拝もうとして気付きました。写真の右が「阿部さん」、左が「橋本さん」なのです。
(えっ、個人的には、大きい方が「橋本さん」ではないの?・・・。少し残念です。)

気を取り直して、最後に三津嚴島神社のルーツ、「三津大明神」の跡へ向かいました。
13期生が5年生の時の日本史夏休み研究レポートでは、3人の生徒が三津嚴島神社について調べていました。嚴島神社は元々は別の場所にあって「三津大明神」と呼ばれていたのが、慶長年間に改めて現在地に移されたということでしたよね。もとの場所は調べましたか?現地を自分の足で歩き回り、史料や文化財を自分の目で見るのが、地域史研究の醍醐味ですよ。

「三津大明神」はフジケンビルのすぐ近く、民家の敷地内で大切にまつられていました。残念ながら、「三津刈屋口の戦い」の戦火で焼かれてしまったのですね。


でも、本当に広島の嚴島神社より古いのでしょうか?実は、神社や寺院の起源に関する伝承は、誇張されていることも多く、注意が必要です。客観的な史料として、『延喜式 神名帳』いう史料があり、平安時代に朝廷から認められた各国の神社の名前が記されています。現在松山市にある神社では、國津比古命神社、櫛玉比賣命神社、阿治美神社(阿沼美神社)、湯神社、伊佐尓波神社(伊佐爾波神社)、伊豫豆比古命神社(椿神社)の6社しか記されていません。
歴史的事実はどうであれ、江戸時代以降、三津嚴島神社が地元の人たちから愛され、大切にされていることは間違いのない事実ですから、少々のことは気にしなくて大丈夫ですよ。機会があれば、三津嚴島神社の文化財についても、ホームページにアップしたいと思います。


 番外編予告 村上海賊の当主 村上元吉の墓を訪ねて県外へ!

祝 入賞 テニス県高校新人大会個人戦

2020年11月2日 11時30分

個人戦において、男女入賞しました。四国大会に向けて頑張ります。

 女子ダブルス3位 藤井・石田ペア

男子ダブルス3位 成松・坂本ペア 男子シングルス3位 成松選手

教育実習5日目

2020年10月30日 13時21分

教育実習が始まって、5日目・・・

授業実習がそろそろ始まる頃とあって、控室で実習生の先輩たちは授業に向けて、準備・教材研究に余念がありません。

夢の実現に向けて一歩踏み出した、あの数年前と変わらぬ姿で。

 

 

 

 

 

 

 控室から見るグラウンド越しの久万ノ台公園の風景も数年前と変わらぬままです。

4限目が終わり、前期生は給食の時間。

実習生も一緒に給食・・・

しかし、今年はコロナ禍により、楽しいお話はお預け。

ということで、午後の授業に備えて、残食0!  

 

教育実習始まる

2020年10月28日 10時52分
2年生

10月26日(月)から教育実習が始まりました。

9名の先輩たちが2週間または3週間、本校で実習に励みます。実習生の控室では授業に向けて、真剣に教材研究や授業の準備を行っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

ダンス部新人大会中予地区予選

2020年10月25日 11時34分

10月25日、ダンス部新人大会中予地区予選がありました。今年は無観客で行われ、いつもと違う大会になりました。

本校のテーマは「アン・ハサウェイ〜凛として立つ〜」。誹謗中傷の中で、もがきながらも立ち向かう姿を現代社会の問題と捉え表現しました。

11月8日の県大会に向けて、頑張りたいと思います。

 

祝 入賞 テニス部

2020年10月23日 18時22分

愛媛県高校新人大会団体戦(全国選抜県予選)

 県大会3位入賞しました。ノーシードからでしたが、選手全員が毎日の限られた時間を集中して取り組むことで一歩一歩成長し、結果に繋げることができました。全国目指して頑張ります❗

1年生授業風景

2020年10月21日 14時58分

11月に行われるレシテーションコンテストに向けて

クラス予選が行われています。

発表者は、声の大きさや話す速度、視線に注意して、

懸命に取り組んでいました。

 

 

 

 

 

 

 

下の写真は、特別国語の授業の様子です。

各クラスで行われる「俳句甲子園」に向けて準備をしています。

聴き手はメモを取りながら、真剣な態度で耳を傾けていました。