令和7年度 進路の手引き 巻頭言「進路について思うこと」
2025年7月8日 10時37分【基礎期(1・2年生)の皆さんへ】 ~ エクジソン ~
皆さんは、「蚕(カイコ)」という昆虫をご存じだろうか。カイコは、ガの一種である。人類は、古来、カイコを飼いならし、「絹(きぬ)」をつくってきた。幼虫のえさは、「桑(くわ)」と呼ばれる木の葉である。幼虫は、桑の葉を食べては脱皮を繰り返し、大きくなっていく。次に、糸を吐いて自らを包む「繭(まゆ)」を作り、「蛹(さなぎ)」となる。やがて、羽化(うか)して成虫であるカイコガとなる。繭から取り出した糸は、「生糸(きいと)」と呼ばれ、これが絹糸の原料となる。生糸は、我が国の近代(明治時代から昭和時代初期)において、国を支える輸出品であった。カイコは、成長の過程で姿を大きく変える、完全変態の昆虫であり、この変化を促進する物質が、エクジソンと呼ばれるホルモンである。人間は、昆虫のように姿を変えるものではないが、進路指導に携わる私たち教師は、子どもたちが、まるでエクジソンに出会ったかのように、内面的に変化する場面に立ち会うことがある。本校では、進路関係行事等を通じ、学問、仕事、人…との出会いをふんだんに用意している。その中には、皆さんにとってのエクジソンとなりうる出会いが必ずあると考えており、皆さんには、目的意識をもって行事等に取り組んでいただくことを期待する。
【充実期(3・4年生)の皆さんへ】 ~ ペーパーナイフ ~
皆さんは、サルトル(1905~1980)というフランスの哲学者をご存じだろうか。サルトルは、「ペーパーナイフと人間のちがいは何か」という問いを投げかけている。ペーパーナイフは、作られる前に「紙を切る」という目的があって、そのうえで作られている。これに対して人間には、先立つ目的はない。サルトルは、人間はまず存在し、人間にとっての目的は、個々の人間が、自ら選び取り、自ら作り出してくものであるという。サルトルの思想全体をどう評価するかは、当然、個々人に委ねられているが、進路指導に携わる教師としては、ペーパーナイフの話にはうなずけるところが多い。充実期には、コース選択や文理選択、志望校群の設定など、皆さんが自ら行う選択の場面が多くある。本校では、皆さんの選択がより良いものとなるよう、進路関係行事を適時設定し、アドバイスもすることとしている。選択の際には、先生方を大いに「利用」していただきたい。
【発展期(5・6年生)の皆さんへ】 ~ まず勝ちて、のちに戦う ~
皆さんは、『孫子(そんし)』という古代中国の書物をご存じだろうか。『孫子』は、紀元前5世紀中頃から紀元前4世紀中頃に成立したとされる兵法書であり、当時の中国は、春秋・戦国時代と呼ばれる時代である。戦争に関する思想であるから、現代社会に即当てはまるものではないが、ビジネスの場面で参考にする人は多いようである。『孫子』の一節に、「勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝を求む」とある。このことばは、「戦いの前において、必勝の態勢を整えておくこと」の重要性を説いたものとされている。中等教育における進路実現の最終局面においては、「競争」の原理が働くことが一般的である。本校では、合格を勝ち取れるよう、授業や補習、ステップアップゼミ、各種模擬試験、面談等を通して、皆さんの必勝に向けた態勢づくりや、果敢なチャレンジを強力にサポートすることとしており、ここでも、先生方を大いに「利用」していただきたい。
ただ、自己実現において競争が全てであるとは、とらえてほしくない。令和7年度第1学期の式辞において、「近江(おうみ)商人」の話をさせていただいた。近江とは現在の滋賀県の旧国名であり、近江商人は、我が国で最も古い、ブランド力をもった商人集団である。彼らは、地元で産物を仕入れ、他国に売り歩いた。行く先々で商品を販売し、その対価を得る。お金の状態で近江に持ち帰れば、荷が軽くなって楽であったろう。しかし、彼らは、そのお金で他国の産物を仕入れ、それを近江への帰り路で販売し、更に利益をあげた。貨幣は流通することに意義がある。彼らが売り先で産物を仕入れることで、その地域に貨幣が残り、次回の取引きの活性化につながったことであろう。自らが利益をあげるだけでなく、取引先に喜ばれることも重んじ、更には地域の活性化にも貢献する彼らの姿勢は、「三方よし」と呼ばれるようになった。「三方よし」とは、「売り手によし」「買い手によし」「世間によし」の三つの「よし」をまとめたものである。近江商人のあり方は、現代におけるCSR―企業の社会的責任―や、地域経済の活性化策にも通じる、古くて新しいものといえる。皆さんが、卒業し社会人となったとき、「自分の幸せ」「相手の幸せ」「社会への貢献」が同時に実現すれば、素晴らしいことであると思っている。